老母の様子がちょっとヘン? と義姉から電話があった。
もう少し様子をみよう…ということで、落ち着いた、というかむしろ落ち着かなくなった。
2時間ほどして
「亡くなった。」
ま、歳も94歳だし…聞けば、眠るように亡くなったようだし、
身勝手、我儘気ままに生きてきた母には、超デキ過ぎの最期だわ。
バタバタ支度をはじめたが、オット君の礼服はパッツンパッツン。
冬服は絶望的にムリなので、なんとかボタンが止まる 『夏服』 を持ってく。
2日続いた東北地方の雪にビビり、新幹線で岩手に向かう。
…岩手まで…一関まではいいのヨ。
沿岸が 『近くて遠い』 の ( ノД`)”’
線路が津波で流されて、ラクダの速度の 『BRT』 のバスでチンタラ向かった。
棺の中の亡母は、キレイにお化粧が施され、生きていたころよりもずっとキレイだった。
なんだろ? ちっとも悲しくないンだけど (^^;)
姪っ子たちは 「火葬場では (おばちゃんは) きっと泣くよ。」 と、私の泣き顔を期待していた。
暦の関係で2日間はなんにもできないまま、夜は兄家族と 『大宴会』
酔っぱらった勢いで、母の悪口三昧の私に義姉は
「ほら! うしろに (亡母が) 立ってるよ。」 と、脅かすが
「おぉ~~! 〇ソBBァ、かかってこいやッ」 とファイティングポーズをする始末 (笑)
お通夜、告別式…お坊さんの読経に合わせてお経をあげた。
※ 母を好きじゃないけど、お経はちょっと好きなの私。
すべてのセレモニーが済んで、今夜も 『酒盛り』 の用意するためにオット君が義姉の車のハンドルを握り、私と義姉が後部座席に乗った。
義姉の、ガソリンを入れて行こう! の指示のもと
「ガソリンって、どこ?」
「八木又ッ!」
「八木又って、エネオスとか出光とか…どこ?」
「そんなハイカラな名前でねぇ!八木又ッつの!」
それでもなんとか、義姉御用達のガソリンスタンドに着いた。
「給油口はどっち?」 と、オット君
すると
「うしろ!」
「うしろはわかるけどォ、右?左?」
と、オット君、なかばパニクってたが、運よく右側につけた。
義姉に新幹線の駅まで送ってもらい、家に着いた =3
…猛母は亡母になった。
義姉に 「おつかれさま」 と言ってあげればよかったな。
涙? (^^;) これまででイチバン悲しかったのは レイコ (犬) が死んだとき。
その次が、父…で、母は…あれ? ナッシング (^_-)
ご無沙汰でございました。
年明け早々、大変でしたね。
心より お悔やみ申し上げます。
94才で 眠るように静かな最後。
まさに、天寿を全うして大往生と言うところですね。
田舎の葬儀は 都会と違い、日数がかかります。
なんだかんだ言っても、クリオネさんもオットさんも
心身 お疲れでしょう。
くれぐれも、ご自愛ください。
majoおばさん
ご無沙汰していました…っていうか、
ごめんなさい、きょうまでメールを見ていませんでした”(-“”-)”
スミマセン。
はい、おかげさまで 『大往生』 でした。
どこかの県では、こーゆー場合 『紅白饅頭』 を配る…とか、昔きいたことがあるデスよ。
帰宅した日はグッタリでしたが…実家の兄夫婦はもっともっと疲れたと思います。
両親が亡くなった今、実家じゃなくなった…と、しみじみ思います。
ここがすこし寂しい デス。 (^^;)
よかったらどうか、これに懲りずにまた書き込みしてください。
ボンジュール!お初です。宜しくお願い申し上げます。
クリオネさんのお気持ち察するところです。ご冥福をお祈り申し上げます。
うちの母も今年で90歳の卒寿を迎えます。
記念に南房総へ菜の花&海鮮料理を食べに身内でツアー組んで来るとの連絡が
あました。
お袋にとっては千葉に旅するのは最後になるものと思われます。悔いのないよ
うエスコートしたいと思います。
サプラ会津さん
よーこそ ♪
こちらこそ、ヨロシクお願いします。
ブログの内容でだいたい私のボケっぷりはおわかりかと思いますが、
マメにチェックしないもので、書き込みに気づかないのですが、それでも
どーか、ヨロシクお願いします。
ここは房総半島のド真ん中です (笑)
そうそう!房総のお花畑…菜の花はほとんど終わっていますよ。
ご母堂様は90歳ですか
そうですね、どうぞ悔いのないよう十分に親孝行してください。
あんな書き方をした私ですが、これでも兄妹の中で、きっと私が一番親孝行モンだと 『自負』 しています。
※ 会津 (藩) は大好きデス♪
お母様のご冥福お祈りします
天寿全うされましたね
母が亡くなったのに哀しくない!その気持ちわかります
私もまさにそうでした
何だかほっとした気分でした
長年認知症でさんざん暴言を吐き、長年寝たきりで・・・・・・
時間がたつと母に対して冷たかったな~と反省しましたが、楽になって良かったね
という気持ちが大きくて・・・・
死に顔って神様からの最後の贈り物のような気がします
綺麗ですよね!!
大木さん
ブログを読んでくれた友人から
「あんなに明るく書いてあるけど…ホンネ?」って聞かれちゃったf(^_^;
でも、ホンネなんですよ。
ホントに最後まで母がキライで、亡くなった今でも悲しい気持ちにならないんです。
わたしと同じ気持ちで、母親を見送った友人から
「悲しくない自分は親不孝モンだと思ってた。」って。
>神様からの最後の贈り物
そっか~~。
あの頃の表情のままの顔だったらきっと、わたし
《デコピン》したかも(笑)